北京に行って来ました

木金と2日お休みをいただいて、週末と合わせて北京に行って来ました。
北京も随分変化しているようで、色々とお隣中国の現状を肌で感じて来ました。テレビや新聞では随分中国のことを色々極端に書いていますが、実際にはどうなのか行って見ないと始まりません。Expediaなどを使うとホテル代も含めて5万円しないで行けるので、意外と気楽に外国に行ける時代になりました。仕事の合間を見て、無理やり行ってみることにしました。

私は中国語ができないので、よくわからないこともありましたが、おしなべてとても快適でした。

まず、中国は日本のことをそれほど気にしていないこと。プレゼンスはあまり無いように感じました。別に反日的な雰囲気を街では全然感じません。地下鉄の中やマックで日本語の本を広げても全然平気です。誰もこちらを気にしていません。新聞なんかでも日本のことはほとんど書いてありません。テレビでは加計学園のことをやっていましたが、これはあちらでもニュースのようです。

次に、日本の観光客の少なさを感じました。万里の長城でも故宮に行っても聞こえてくる外国語は、まず英語とドイツ語でした。以前のように日本の観光客が多すぎてその振る舞いが気になってしまうような状況では全然ありませんでした。行ったのが6月中旬で日本の夏休みとはかぶっていないからと言うのもあるかもしれません。今の時期はアメリカの学校が休みに入った時期ですから、そう言うこともあるのかも知れません。それにしても日本人の観光客少なかった。

不動産の市況についてガイドさんと話したのですが、アパートの値段は相当に上がっているようです。1平米で100万円くらいと言っていました。「crazy expensive」とおっしゃっていましたが、この値段は現在経済が成長している国の不動産の値段としてはそれほど高いものでは無いように感じました。中国では不動産は国の所有で個人は国から使用する権利を与えられるにすぎないと言っても、この値段はどうなんでしょうか。北京の物価は日本のそれよりはまだまだ安いです。3割引くらいの感覚に感じました。そう考えると、日本で言われているほど、不動産は加熱しているわけでは無いのかも知れません。

向こうでネットをしたのですが、聞いてはいたのですが、やはりGoogleとTwitterには繋がりません。これはちょっと不便です。それで百度という向こうの検索エンジンを使ったのですが、日本語や英語での検索結果は精度がイマイチでした。日本のblogosなども見ようとしたのですが、どっかで検閲でもしているのかどうかと思うような突然遅くなる状態がありました。それぞれの国のことですので、それが一概に悪いと言うつもりは無いのですが、それでもGoogleやTwitterが何の制限もなく見れる日本は恵まれていると思いました。

昔ながらの屋台や小売店をのぞいて、スーパーやカフェでもキャッシュレスな人が多かったです。私は外国人ですから当然に現金で払っていましたが、現地の人はなにやら携帯のQRコードが表示される画面をレジで見せて決済していました。日本よりキャッシュレスが進んでいるように感じました。

地下鉄はとても綺麗です。値段も安いし(初乗り50円くらい)、時間も正確だしとても快適でした。乗ってる人はみんな携帯電話を見ています。これは日本と同じですね。地下鉄で新聞や本を読むと言う行為はほぼ完全に失われてしまっているようでした。

文化的な違いは色々とありそうなので、よくわからないことも多かったのですが(私がトロいだけなのかも知れませんが、綺麗な女性でも列をすぐ割り込むとか)、中国語をもっと勉強したいと思いました。

集中を目指すか、売上の拡大を求めるか

ヤマト運輸の中興の祖である小倉昌男の「経営学」という本を本棚から取り出して、久しぶりにパラパラとめくってみました。その中で、小倉昌男が牛丼の吉野家の経営で、商品を牛丼一本に絞り込んだ話に感銘を受けたことが書いてありました。

商品を一本に絞り込むことで、仕入れ単価も下がるしバイトでも簡単にメニューが作れるようになり、吉野家は利益が出る体質になったというのです。

そこで、ヤマトもそれまでの企業向けの大口の物流から一般消費者向けなどの小口の宅配に大きく舵を切り事業を。そして、事業が大きく成長したと言います。

ですが、世の中みんなが知っている通り、実際には、今日の吉野家もヤマトも事業を一本に絞っていないように見えます。吉野家には牛丼だけではなく、牛鍋定食も豚丼もあリます。一体、事業を一つに絞るのがいいのでしょうか、それとも、関連する範囲で、または、関連しなくても、利益が出るのであれば色々やる方がいいのでしょうか?

私の思うこの問いに対する解答は、一人なら1種類に絞るべき。複数人でやっていて、既存のお客さんからのニーズで自分の本業以外の問い合わせがあった時に、誰かにお願いできるなら、それを受けてもいいということでしょうか。

やはり、一般論としては、事業規模が少人数の場合、特に自分一人とアシスタントと二人のような場合には色々と手を出すべきではないということでしょう。自分や自分の会社があえてやらなくても、世の中には自分たちよりその事をうんと上手に出来る人達がいます。他の誰かがより上手く出来ることは、その他人の会社に任せてしまって良いのです。世の中は広いので、自分が得意でないことは、あえて自分がやる必要性は世の中の道理としてもありません。

例えば、私どもの事務所でビザの事をよく聞かれるので、自分たちでやってもいいのではないかとも思ってしまったりもします。でも、待てよ。よく考えると、ビザのことは自分たちより上手に出来るところは沢山あります。そこが儲かってて、それをみて参入するならともかく、そうでないなら、経験が足りなくて、効率も知識も足りない自分たちがやる必要はないのではないか、と思うに至りました。

本は沢山読む事を競うものではない。

読書で自分を高める

本をたくさん読む事自体は全然OKだと思うのですが、手段と目的が入れ替わってたくさん読む事を目標にしてしまうのは、本末転倒です。本を読む楽しみがなくなってしまうので、むしろ有害な気がします。1日1冊とか、まず1000冊読むとか、量を目標にするのは、一時的には良いかも知れませんが、量を目的にしてしまうと本の中身を考える余裕がなくなるので、楽しくないです。

例えで言うなら、旅で行った国や町の数だけを競争するようなものです。楽しんで旅行をしてて結果そうなったのなら良いのでしょうが、数だけ集めても順番が違うように思います。

本は、沢山読むほうがえらい、難しい本を読めるほうがえらいみたいな考え方が一部の知識人と呼ばれる人たちの中にはあるようにも感じますが、私はそんなふうには思いません。

読書は、本来楽しみながらするものです。色々な世界に触れて、知識や人生の幅を広げるものです。

こんな会計サービスがあったら受けたい

会計帳簿にも、「美しい」会計帳簿と「美しくない」会計帳簿と言うのがあります。もしくは、「汚い」会計帳簿というのがあります。

汚い会計帳簿は、間違えが多くて、会計帳簿を見てもその当時に何が起きたのかよくわかりません。取引の入力の仕方も、一貫していません。複数の関連がある取引だったら、本来は振替伝票を使って、複数の取引を一つのまとまりにしておくとわかりやすいのですが、そういう事も出来てません。

美しい会計帳簿は、取引が整然と記録されていて、昔の取引がそれを見るとよみがえって来ます。昔、どういう取引を行っていたのか、今はどういう取引を行っていたのかが、よくわかります。頼りになるので、よく、人にあの時のあの取引どうなってたんだっけ?などと聞かれます。

そんな、帳簿を提供できる会計アウトソーシングの会社は素敵だと思います。

ricepad

今作っているのは、あくまで一つの機能ですが、画像データアップロードして仕訳と画像をリンクすることの出来る会計システムです。領収書などを画像で保存して、仕訳の上にマウスをあてると、画面に領収書の写真が出てくるシステムです。

これだと、仕訳からこの取引何だっけなんて見てる時に、マウスをあてるだけで領収書や契約書が出てくるので、直感的でいいのではないかと思っています。